Shohei Saeki

【プリンティング部門】
佐伯尚平
印刷設計士

【Printing Div.】
Shohei Saeki
Prinitng Producer

1972年 京都生まれ、京都育ち。
大阪芸術大学 工芸学科テキスタイルデザインコース卒業
2012年アサヒ精版印刷へ入社。
ニックネーム→ しょうちゃん。
大学卒業後、大学の研究室に残り副手として3年勤務。
主に1回生2回生の工芸基礎実習、3回生の染色実習を担当、
授業が終わった後は実習室にこもり作品制作に没頭する日々を送る。
1996年にろうけつ染めによる作品が公募展に初入選。以後10年間公募展を中心に出品を続ける。(光風会展_1996年~2005年、1997年光風奨励賞、1998年工芸賞受賞)
大芸の副手は3年で期限切れとなり、京都で京友禅着物製造会社に就職、営業部に配属。営業職といっても、業界用語で 悉皆(しっかい)業がメインの業務でした。これは1反の着物を生地からスタートして約10工程の各現場に指示を入れながら出し入れを繰り返して仮絵羽の状態まで仕上げる役割で、ひたすら納期に追われる日々を送る。この経験が後にアサヒ精版に入って(着物と同じやん!)と思う意外な共通点となる。
就職と同時に、京都市伏見区で古い町屋を作業場兼自宅として1軒借り、大学の副手時代そのままに染色道具を一式揃え、作品制作を続けていた。公募展が近づくと昼間会社に行き、夜は作品制作に打ち込んでいた。仕事と作品制作にジレンマを感じる日々を送りながら、2001年2回目の個展(京都北山ギャラリー翔)を終えた時点で、染色を生業とする決意をして会社を退職、1年間の準備期間を経て2002年大阪府八尾市にて染色工房尚憲を大学時代の後輩と2人で設立。染色加工としては、当時職人がほとんどいなくなっていたスレン染料を使用したろうけつ染の技法を採用、クライアントが求める商品を直接形にするものつくりを目指して、営業~商談~デザイン制作~染色加工~縫製~納品を一貫して受け持ち、主に店舗の誂え暖簾制作をメインに数多くの仕事を手掛ける。
一方、以前から続けていた作品制作は、展覧会に出品は続けていたものの(当時メインで出品していた光風会展では会友に昇格していた)公募展の存在意義や自分の作品の低迷にも悩み続けていた。その後2005年に退会、一切の作品制作を打ち切る。工芸作品や作品制作に対する理想を高く持ちすぎた結果で、もう少し肩の力を抜いて自身の作品制作に向き合えてれば良かったかなと思う。
誂え暖簾制作の仕事はその後も継続したが、2011年八尾の工房を閉鎖。設備一式を京都に移す。京都にて1年間続けた後、縁あって2012年アサヒ精版印刷へ入社。
アサヒ精版印刷は以前から会長と将棋相手として交流があったのでまさか自分がここで働くとは思いもよらない場所。入るまでは本当に紆余曲折いろいろありましたが、これまで染色業界にどっぷり浸かっていた自分が今では印刷加工の面白さを日々味わっているところ。
布生地の提案→紙の提案へ
手仕事→印刷機械へ
染料→インクへ
扱う媒体が変わっても
自分の中にある根本的なものつくりのコンセプト
「お客様が求めるものをより良くかたち造る」はあまり変化なし。
今まで何回も挫折したけれどこの事は変わってない気持ち。
素材好きは布も紙も変わらず、希少な物に出会うとうれしい。
印刷プランを練るのは楽しい。
普通にミシンが使えたりする。→暖簾屋だから当然です。
将棋好き。
釣りに行きたい。
一人旅に行きたい。→なぜかというと・・・
<学生の頃バックパッカーにあこがれていてした野宿旅の経験>
→18きっぷで大阪→長崎→軍艦島一泊キャンプ→大阪
→18きっぷで大阪→札幌→北海道一周→札幌→大阪(北海道内は車)
→18きっぷで京都→鹿児島→屋久島→鹿児島→四国周り→京都
→大阪南港→→那覇→石垣→竹富島→西表島→波照間島→石垣→那覇→→大阪
<番外編>
→ローリングストーンズの東京ドームライブに行く為に→お金ない→西名阪藤井寺インター入口で、紙に「名古屋行き」と描いてヒッチハイク→大型トレーラーに拾われる→18きっぷで名古屋→東京→ライブ→東京→大阪

スバルの車が好き。
Nominication実行委員。

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