歴史

1927年、大阪市南区にて築山清治により創業、大手商社の和英帳票類(invoice)の活版印刷からはじまり、当時は欧文の活字を大阪一多く持っていたとのこと。1945年大阪大空襲にて全焼の後、大阪一の高台へと場所を移し、徐々に図案家や画家と呼ばれる当時のクリエイターに発注しながら、美術印刷業として発展してきた。「上町台地」と呼ばれる大阪のこの辺りは、風通しがよく、当時から印刷に関わる小さな町工場が多く集まった。また印刷工場は軽オフから輪転まで、紙のサイズや厚み等により全て機械が異なり、更に断裁、トムソン、箔押し、表面加工、製本…等加工工場も全てが分業、特化されてきた。
 時代が二代目敬志朗へ移り、仕事の内容が複雑化していくにつれ、よりクオリティの高いものづくりへと徐々に転向、’80年代に入ると同時にハードをなくし 『工場を持たない印刷会社』 へと変革。高い技術を持つ多くの工場に支えられながら、ディレクションワークに徹底し、現在まで数十社と信頼のある取引を続けてきた。
 又、当時より外部のクリエイターとの交流が深く、美術印刷業としてのポジションを確立、社内でも早い時代からデザイナーを採用し力を入れてきた結果、現在メンバーの半分がクリエイティブ部門として、企画・デザインを担う。
※アサヒ精版の社名は、「精」を使う。これは創業当時、精密な版(印刷)という意味で使われた。製版の「製」と間違われがちだが、今でもこの字を使う印刷会社は全国でも意外と多くみられる。

Workflow

プリンティングディレクション(印刷設計)をベースとした仕事の流れ

Cooperative Factories

※Under Construction

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