ASAHISEIHAN

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History

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1927年、大阪市南区にて築山清治により創業、大手商社の和英帳票類(invoice)の活版印刷からはじまり、当時は欧文の活字を大阪一多く持っていたとのこと。1945年大阪大空襲にて全焼の後、大阪一の高台へと場所を移し、徐々に図案家や画家と呼ばれる当時のクリエイターに発注しながら、美術印刷業として発展してきた。「上町台地」と呼ばれる大阪のこの辺りは、風通しがよく、当時から印刷に関わる小さな町工場が多く集まった。また印刷工場は軽オフから輪転まで、紙のサイズや厚み等により全て機械が異なり、更に断裁、トムソン、箔押し、表面加工、製本…等加工工場も全てが分業、特化されてきた。

 時代が二代目敬志朗へ移り、仕事の内容が複雑化していくにつれ、よりクオリティの高いものづくりへと徐々に転向、’80年代に入ると同時にハードをなくし 『工場を持たない印刷会社』 へと変革。高い技術を持つ多くの工場に支えられながら、ディレクションワークに徹底し、現在まで数十社と信頼のある取引を続けてきた。

 又、当時より外部のクリエイターとの交流が深く、美術印刷業としてのポジションを確立、社内でも早い時代からデザイナーを採用し力を入れてきた結果、現在メンバーの半分がクリエイティブ部門として、企画・デザインを担う。

 2020年12月26日(1952年会社設立日)、「アサヒ精版株式会社(ASAHISEIHAN Co., Ltd.)」へ社名変更。7年後の創業100周年を目指し、新たなスタートを切る。

※アサヒ精版の社名は、「精」を使う。これは創業当時、精密な版(印刷)という意味で使われた。製版の「製」と間違われがちだが、今でもこの字を使う印刷会社は全国でも意外と多くみられる。

世の中の動きとこれから

デジタルの進化やネット印刷の浸透で、ここ10数年来印刷業界の不況は続き、世の中の景気は緩やかに上昇…と言われつつも、厳しい状況は続いている。特に印刷単価の下落はとどまるところを知らず、驚くことにここ50年来作業単価が殆ど変わっていない工場も多い。だが逆に、この先のテクノロジーの進歩で多くの職業がロボット化していく中、五感を使い、これまで培ってきた経験と技術の結晶は、必ず人々の心を動かすものとなり、決してなくしてはならない。

 工場との相互作用を基本にしながら、技術の継承、価値の見直し、活性化を実践すること。また感性と良心を大切にし、進化させ、常に新しい挑戦を目指したい。